九六位山日記(ゆきのさきこ)

私のマンションのベランダから見える山は、九六位(くろくい)山です。雨はいつもこの山を越えてきます。

さきちゃんの家出

                                

 私のひたいの真ん中に大きなホクロがある。いつか街で占いの人から「お釈迦様と同じところにホクロがありますね」と呼び止められたことがある。「お釈迦様は、家族を捨て国を捨て、放浪の生涯を送った人。男性ならそれで良いが、あなたは女性、大地に根を張りそこで生きて行くことが本来の生き方。そのホクロがあることを承知して生きてください。」と四十代の頃だったか言われたことがある。

 このホクロのせいかどうかは別にして、私には家出癖がある。

 小学校に上がった頃、一人で学校の前のバス停からバスに乗って、町の親戚の家に行った。電話もない時代のことで、夜になっても学校から帰って来ないと大騒ぎになった。なぜ町へ行ったのかと叱られても、バスが来たからとしか言いようがなかった。私「さきちゃん」の家出は近所や学校でしばらく話題になった。

 私が生まれ育ったのは臼杵から野津に抜ける谷間の村。周囲を山に囲まれ、夕方になると人通りも途切れあとは全くの闇、家族だけの寂しい夜。いつもあの山の向こうに行くことを考えていた。

 学生の頃、佐世保の米軍基地に原子力潜水艦が入港し、大きな抗議デモが起きた。全国から学生が集結した。私はその頃熊本の短大にいたが、私も行かねばと汽車に乗った。大阪からの大学生が前の席に座っていて、この闘争の意義のようなものをずっと語っていた。大学生とは駅前でちゃんぽんを食べて別れ、あとは街を歩き回った。

 帰ると寮は大騒ぎで、寮母や先生から呼ばれた。反体制を語るほどの知識もなく、ただ九州の西の方に行って見たかったとしか言いようがなかった。学生運動のグループからは「話を聞きたい」としばらく英雄扱いされた。

 社会に出ても家出癖は治らなかった。岩手県に出張した時、用事が済んで、宮沢賢治の童話や詩に出てくる岩手山小岩井農場、くらかけ山やなめとこ山を追いかけているうちに、電車で秋田まで行ってしまった。

 秋田駅前の居酒屋でお酒を飲んでいたら、留守番の息子から「姉ちゃんが家出した。」と電話があった。私が、大学生の娘の門限を九時にしていたことへの反発であった。この時は親子で家出していたのである。

 今私は、子供はそれぞれ家庭を持ち、一人暮らしである。いつでも家出ができる身である。

 五十代になってから本格的に登山を始め、日本アルプスをはじめ、カナダ、スイス、アフリカ、ネパールなど海外の山々にも出かけたが、家出する時のような焼けつくような憧れがない。ただの外出、旅行である。

 天気の良い日の夕方は、マンションのベランダに「晩酌セット」を用意する。目の前は九六位山、その向こうは実家のある臼杵。九十歳になる母親が独りで暮らす。母は何を食べているのかなどと思いながら晩酌をする。

 結局は、ひと山越えて隣の町に移り住んだだけである。ホクロの話はいい加減であった。