九六位山日記(ゆきのさきこ)

私のマンションのベランダから見える山は、九六位(くろくい)山です。雨はいつもこの山を越えてきます。

「騎士団長殺し」読む

 五月の連休に、村上春樹の「騎士団長殺し」を読んだ。発売は昨年の二月だが、新刊発売の騒ぎが治まるのを待っていた。

 今回の主人公は三十代半ばの画家である。何かの理由で妻に去られ、自信をなくし絵も描かずにいる。留守番がわりにと貸してもらった友人の別荘で、屋根裏部屋に隠してあった「騎士団長殺し」の絵を見つけたことから、物語は展開する。

 全体に流れるテーマは、悲しみをどう癒していくか、怒りをどう治めていくかである。ホロコースト南京事件など悲惨な事件に関わった人々を登場させ、深く長い苦しみについて書いている。

 村上春樹の小説には、音楽が象徴的に使われるが、今回はオペラ「ドンジョバンニ」と「薔薇の騎士」。どちらもアマゾンで無料で聴けるので、主人公と同じように曲を流しながら読む幸せも味わった。(こんな時、インターネットがある時代に生きていて本当によかったと思う。)

 物語の中で特に、主人公の一日を詳細に語る場面が好きだ。朝コーヒーを入れ、サラダを作る。パンを焼く。シャツにアイロンをかける。音楽を聴きながら絵を描く。夜は星をちらっと見る。そんな普通の暮らしの中で、主人公は悲しみを徐々に癒していく。

 私たちは次々に生まれてくる不安、個人では手に負えない事件や事故に取り囲まれている。この主人公のように、日常をきちんと手順通りに過ごすことで、不安や恐怖を少しづつ手懐けていける気がする。

 今回、村上春樹が、東北大震災をどう書くかが注目されていたが、最後に少し触れているだけである。主人公が、別れた妻の産んだ女の子を引き受け、保育園への送り迎えをする日々「テレビで流れる悲惨な光景をできるだけ見せないようにした」と。いつか村上春樹も「東北大震災」を書くだろう。それはいつだろう。私たちはまだ「3.11」の恐怖の真っ只中にいる。

 イシグロカズオ氏がノーベル賞をもらう前のこと、村上春樹はイシグロについて「彼と同時代に生きていることを誇りに思う」と書いていた。私も、村上春樹と同じ時代に生きていることを誇りに思う。(彼は、私より二ヶ月後に生まれている。)