九六位山日記(ゆきのさきこ)

私のマンションのベランダから見える山は、九六位(くろくい)山です。雨はいつもこの山を越えてきます。

先輩老人たち

先輩老人たち

 「年金破綻」「孤独死」「下流老人」など不吉な言葉が飛び交うこの国では、歳をとることが悪いことのように聞こえはしないか。だから探した。私の周りで、世間の役に立ち、みんなに勇気を与えている先輩老人はいないか。

 まず、歌声教室のS先生、八十二歳、月に一回、コンパルホールで歌声教室を開いている。私も、そこでエレクトーンの伴奏をしている義妹に誘われて通っている。先生は、昭和三十年代、うたごえ運動が盛んだった頃からのリーダーで、あれから六十年、相変わらず透き通る声で、童謡から演歌まで二時間を歌い放し。舞鶴高校の同級生なども数人参加していて、白髪でおしゃれでおしゃべりで、みんな楽しそうだ。先生は、別のサークルの人を引き連れて全国大会にも行く。

 短歌のH先生は、八十歳半ば。県庁職員の頃から短歌を作り、今、いくつもの短歌教室を主宰、新聞短歌欄の選者もしている。私は、大分市内の教室に四年ほど通っている。毎回、出席者から提出された二十首余りを、一首ずつ、構成を変えてみたり、ふさわしい言葉を探したりしながら完成させていく。

 最近、大病をされて首にコルセットを巻いている。私はもうもったいなくて、一言も聴き漏らさないようにしている。

 もう一人いる。先日、八十一歳で亡くなった同業の経営コンサルタントY氏。企業の現場で、つい過激で否定的な発言をしてしまう私の後から、いつも言い方を変えてその場を立て直してくれる。その度に私の心はうなだれる。

 まだいる。この夏八十八歳で富士山に登ったH氏、私の登山の先生である。同行の人によると登頂の後「ノーチャレンジ、ノーライフ」と言ったそうだ。この言葉、登頂を予想して、あらかじめ用意していたに違いない。そうゆう人なのだ。彼は、十年前スイスアルプスで三千メートルの岩壁にかかる長い垂直のハシゴに、足がすくんでいる私を、自分の体とロープで繋いで引っ張り上げた。

 九十二歳になる私の母親。最近、周りで葬式が続いたので様子を見に帰ったら、里芋の手入れをしていた。このままいくと親戚の中で百歳を超える最初の人になりそうだ。

 情報化社会では、現象を平易な言葉でひとくくりにしてしまいがち。自分の周りを個別に具体的に見なくては、本当のことは押さえられない。

 アメリカの女性作家メイ・サートンの著作に「七十歳の日記」がある。私の七十歳の誕生日に娘に買ってもらい、毎朝、その日記の日付に合わせて読んでいる。カナダ国境に近い、岬の家で一人暮らしを始めたばかりの頃の日記である。著作活動も続けており、世間の批評やファンとの交流が一人の時間を願う彼女を悩ます。私は、一緒に食卓に座ったり、庭の手入れをしたり、飼い猫や侵入してくるリスと遊んだりしながら、七十歳の自分と重ねている。

 彼女は「八十二歳の日記」も残している。竹町のカモシカ書店の店主もメイ・サートンが好きとかで「店にありますよ。絶版にならないうちに買ってください」と勧めてくれるが、私はまだ読まない。ああ、早く八十二歳になりたい。