九六位山日記(ゆきのさきこ)

私のマンションのベランダから見える山は、九六位(くろくい)山です。雨はいつもこの山を越えてきます。

働く=いのちき

働く=いのちき(2016.9)      

 昭和38年、中学校の同級生の何人かは集団就職で名古屋に行った。臼杵駅で先生と一緒に見送った。私は羨ましくも寂しくもなかった。その頃の農村はまだ貧しく自分で自分の道を選べる子供はほとんどいなかったと思う。臼杵川の土手の桜もまだ咲いなかった。集団就職も終わりの頃であり、それからの消息はほとんどなかった。

 まもなく、大分市の海岸一帯に「新産業都市建設」が始まり、新日鉄昭和電工の工場が進出して来た。大分合同新聞に「これから大分の若者は地元に残って働けるようになる」と出ていたのを読んで、なぜか涙が出た。

 その頃私は、短大を出て大分市内の金融機関に勤め、夕方になると預金勧誘で新日鉄の新築の社宅を回ったりしていた。社宅はみな4、5階建てのアパートで、玄関を開けると、フローリングの床が光り、台所にはテーブルと椅子が置いてあった。

 私は、こんなところに住むことができる人と結婚しなければと強く思った。その頃の女性の給料は安く、一人暮らしも難しかったから。

 1980年に米国のアルビン・トフラーが、その著書「第三の波」で、「これからはコンピュータ中心の時代が来る。オフィスにはコンピュータを操作する人か掃除をする人しか要らなくなる」と予言した。

 私はその頃、役所のコンピュータ室で働いていた。コンピュータの技術はそこで学んだ。新しい技術を覚えるのは面白く、そのうちプログラムも組めるようになった。

 私はトフラーの予言通りになると信じて、2人の子供にはコンピュータの勉強をさせ、コンピュータ関連の会社に勤めさせた。ある日、娘がシステムエンジニアの仕事をいやがるので、トフラーの話をしたら、大学院まで行かせたのに「お母さん、私は掃除のほうが合っている」と言われた。そしていつの間にか転職していた。

 今、トフラーの言った事は見事に当たっている。IT(情報通信技術)を使いこなした者が勝ち続け、あらゆるところで格差は広がっている。しかしなぜか、どちらも幸せそうではない。

 今、この国の労働市場は、非正規雇用40%である。中身は低賃金のパートや派遣労働である。労働コストをいかに押さえるかが、企業利益の最大の鍵であり、中小企業診断士である私も、現場でパートのシフト表を前に「最大利益をもたらす人員配置」を検討することもある。

 さらに労働人口の約7割が第3次産業に従事している。かって集団就職で地方の若者を大量に受け入れた製造業は、ほとんど消えてしまっている。つまり多くの人々は、サービス関連産業に短期雇用され、時間給で働く事を求められているのだ。

 夕方になると、塾の周りは送迎ラッシュである。親戚の子は2才から英語塾に通っている。雇用の現場と親の期待にミスマッチはないだろうか。みんなして狭いステージに無理やり上がろうとしているようにも見える。

 この先、子供達の努力は報われるのだろうか。しかし、普通の人はトフラーのように未来を予測できない。

 人はだれでも「いのちき」をするために働かねばならない。私は半世紀近く働いた事になる。たくさんの仕事を経験した。銀行員に始まり、子供が小さい時には、パートで印刷屋、肉屋、魚屋、本のセールス。それからコンピュータのオペレータ、システムエンジニアと続き、今は経営コンサルタントである。

 いつも手当たり次第であったが、どれも我が家の「いのちき」を良く支えてくれた。