九六位山日記(ゆきのさきこ)

私のマンションのベランダから見える山は、九六位(くろくい)山です。雨はいつもこの山を越えてきます。

雨が好き

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サハラ砂漠にロバ。近くに人家があるのか。 

                     ゆきのさきこ

 私は雨が好きだ。朝目が覚めたら、まず雨音を確かめる。マンションの6階の我が家では、雨が地面に落ちる音は聞こえないが、雨粒が樹々に当たる音、雨粒同士がぶつかる音などが聞こえて来る。雨どいを落ちていく音が聞こえたら大雨だ。安心してまた眠る。

 私は、農家に育った。谷の間に細い川が流れ、両岸に田んぼが広がる。空に向かって段々畑。子供の頃、日照りが続くと、家族総出で川の水を担ぎ上げ、畑に入れる。夏は、干からびた水田を前に、ただ空を睨む。水道付きのビニールハウスもまだ普及しておらず、降って来る雨が頼りの農業だった。父は、毎晩、焼酎を飲みながら明日の天気を予想する。なぜか良くあたった気がする。

 雨が降ると「うるおいよこい」をした。父は、牛小屋を片付けたり、くわや鎌の手入れをし、母は、まんじゅうを蒸したり、どこで覚えたのかドーナッツを揚げることもあった。きっと私と弟はその日一日良い子だっただろう。だから、街の暮らしが長くなった今でも、雨の日が好きだ。

 雨といえば、数年前、友人達とモロッコのツブカル山に登った後、サハラ砂漠をワゴン車で移動したことがあった。砂と岩に倒れた樹木、枯れ草の砂漠が続く。ここに雨はいつ降ったのだろうか。砂漠との境がないハイウエーを砂埃をあげて走る。地平線に目指す街が見えたかと思えば、「あれは蜃気楼、あと三時間くらいかかるよ」とガイドが言う。乗る前に渡された一リットルのペットボトルの水はぬるく、腕には塩が吹いていた。

 私は「とんでもないところに来てしまった。砂漠の盗賊やアルカイダに襲われたらどうするの」と心配し、ただ目を閉じ、無理やり故郷の小川や畑を思い出したりしていた。

 高い旅行費用のおかげで、辿り着いた砂漠の中のホテルには、どこから水を運んで来たのか、シャワーもプールもあった。涼しい土壁の部屋で出された熱いミントティは甘く美味しかった。慣れてしまえば現地ガイドやドライバーは明るく楽しい青年達だ。ガイドは「僕の父親はこの近くで農業をしている。弟たちを学校に行かせたいので、僕はガイドになった」と話してくれた。砂漠の中でどんな農業ができるのか。もっと詳しく聞けばよかった。そのガイドとは今もフェイスブックで交流している。

 日本に帰って、まだ砂漠の火照りが冷めない頃、雑誌でイスラム国の少年兵士の写真を見た。その時に作った短歌がある。「春の雨 もし行けるなら 砂漠に立つ少年兵士のシャツを濡らしに」(細く優しい雨を知らない少年たちに)。 

 最近、雨の日のことで、ひどく辛いことを思い出した。昨年、サポート教員として近くの小学校に半年ほど勤めた。子供達が帰った後、ランドセル置き場に、折りたたみ傘が何本か残されていた。最近は共働きの家庭も多く、急な雨に傘を持って来れない家もあるのだろう。そして思い出したのだ。私の二人の子供は傘をどうしていたのだろう。私には傘を持って迎えに行った記憶がない。その頃の私は、職場で認められること、生活を安定させることに必死だった。頑なで気がつかない母親だっただろう。勝手にひとり親家庭になった。傘のこと以外にも、悔やむことはたくさんある。

 私の子供はもう四十代半ば。下校時に傘がなかったことをまだ覚えているだろうか。濡れて帰るのは楽しかったとか、いつも差しかけてくれる友達がいたとか、そんな雨の日の思い出でありますように。