九六位山日記(ゆきのさきこ)

私のマンションのベランダから見える山は、九六位(くろくい)山です。雨はいつもこの山を越えてきます。

新しい場所

 孫がこの春、小学生になった。両親とも働いているので、3月いっぱいまで保育所に行き、4月1日からは、小学校に併設されている学童保育所に移った。誰も知った人がいない場所で、1歳で保育所に入った時のように泣きわめくのではないかと、家族は心配していた。

 初日は、私が学童保育所に連れていくことになった。校庭には桜吹雪が舞っていた。孫は、学童保育所の玄関に立つと、自分の名前のある靴箱を見つけ、さっと靴を入れポケットからマスクを取り出し、小走りで教室に入った。

 中を覗くと、ワラワラと子供がいて、孫もその中に交じって見えなくなった。私は、ギュッと抱きしめて、バイバイと言おう思っていたが当てが外れた。孫は、自分の前にある新しい場所に、一瞬も立ち止まることなく向かっていったように見えた。

 この春、身内にもう一人、新しい場所に向かった人がいる、93歳の母である。

 孫の入学式の日の朝、弟から、母が老人ホームに入所したと電話があった。最近、家の中で転んで、起き上がれないことがあったらしい。いつも様子を見に帰っていた弟に「老人ホームに行く」と言うので、かかりつけの病院に相談すると、系列の老人ホームにちょうど一つ空きがあるとのことで、介護認定もまだ受けていない状態で、手続きが進んだと言う。

 母は、谷間の一軒家で、ひとりで畑仕事をしながら、”山姥”のように暮らしていた。だから私は、母は、施設での共同生活など望むはずはないと思っていたし、最後は、畑で倒れるのだろうと覚悟していた。

 面会に行くと、”うちの山姥”は、こぎれいになってニコニコしていた。みんなが良くしてくれると、職員の方に手を合わせてもいた。それにしても母は、よく決心したものだ。新しい場所に向かう日が来たと思ったのだろうか。先に逝った姉妹達や同じ地域の年寄りの生き方で学んでもいたのだろう。九十三才でも、決心するのだ。

 

 私は、小学生がみな登校した後の、朝の道を歩きながら考えた。私は置いて行かれていないか。年金をチマチマやりくりしている間に出遅れていないか。手近な友人や安易な楽しみにしがみついていないか。今年の春は、特別に早く過ぎていく気がする。