九六位山日記(ゆきのさきこ)

私のマンションのベランダから見える山は、九六位(くろくい)山です。雨はいつもこの山を越えてきます。

老人3人夏山で

 老人3人夏山で

 お盆過ぎの日曜日の朝七時、大分駅前に集合する。今日は佐賀関半島の城山、白木山、高城山、樅の木山の四山を尾根伝いに縦走するのだ。同行は私と70歳代のM氏と80歳前後のI氏の三名。

 廃校となった佐賀関高校の近くに車を停め、マムシ避けにスパッツをつけ、I氏を先頭に登り始める。登山道には夏草が生い茂り、セミの声が充満している。今日も暑くなりそうだ。

 山は一夏で終わるもの達でいっぱいだ。忙しく飛ぶトンボ、仰向けでバタバタするセミ。黄色くなった木々の葉、枯れて垂れ下がった夏草。ごめんね、私たちはほっとけば百年も生きてしまうのよ。

 2人は山のベテランで、使い混んだリュックサックに山の道具をいっぱい詰め込んでおり、頂上で写真をとるたびに三脚を取り出す。

 上りが続いてきついと思う良いタイミングで休憩を入れてくれる。座って水をのみ、あたりを眺める。3人は少し勢いをなくした森の風景にしっくりと合っている。

 I氏は、植物にも詳しく、良い匂いのする花や、紙を梳いたという葉など次々に見つける。時々、地図を広げ「今どこにいるかわかりますか」と私を試したりする。目の前の地形と地図の等高線を見比べると自分がいる場所が良くわかる。

 途中、斜面の木を切り倒し、土がむき出しになった崖の上に、何枚ものソーラーパネルを張っている山があった。その真下にダムがあり、すでに水量が落ち泥水が溜まっている。建設当初は、反対運動もあったようだ。「佐賀関半島は川が少なく、昔から水に苦労した土地。だから小さいダムを各所に作っているのだ」とIさんの話。M氏は「こんなひどいことをするのは中国人だろう」という。私は、そうかもしれないし違うかもしれない。山を切り崩してでもひと儲けしたい日本人はたくさんいるだろうし、山主は銀行から建設資金を借りて後戻りできなかったのかもしれないと思った。

 アップダウンを繰り返し、最後の樅の木山を下りたら3時近くになっていた。M氏がクーラーボックスからスイカを取り出しご馳走してくれた。

 次は、ここから九六位山を越えて戸次まで歩く計画。私がベランダから朝晩眺めている山々だ。さらに日出から国東半島まで、別府湾の周りに横たわる山々を踏破するとのこと。

 翌日、メールで4枚の写真が届いた。山頂の表示板を背に白髪の老人3人がなぜか申し訳なさそうに笑っている。私は、今年の夏一番の高笑いをした。