九六位山日記(ゆきのさきこ)

私のマンションのベランダから見える山は、九六位(くろくい)山です。雨はいつもこの山を越えてきます。

ヒマラヤ・ゴーキョピークに登る

ヒマラヤ・ゴーキョピークに登る

                                 

 「エベレスト街道を歩きたい。」そう願うようになったのは、作家井上靖氏の「わが一期一会、ヒマラヤ山地にて」を読んでからである。昭和四十六年に氏がヒマラヤ・トレッキングに参加した際の少年シェルパ・ビンジョとの交流が書かれていた。相手に向かって手を合わせ今日一日の無事を神に祈る。そういう厳しい土地である事も記されていた。そしてビンジョの事は、晩年の詩集「星欄干」にも出て来る。三十四歳になったビンジョからエベレスト登山者を介して、「十五年前にお世話になった。よろしく伝えて欲しい。」との伝言を受け取っている。

 氏は詩の最後に「ビンジョは、有名な登山案内人になっていることだろう。人生というものは信じていい。」と結んでいた。

 シェルパとは、ネパールの少数民族のひとつであり、祖先はチベットから、十七、八世紀にかけてヒマラヤ山脈を越えてネパールに移住してきたと言われる。二十世紀に西欧人のヒマラヤ登山が始まると、シェルパ族は高地に順応した身体を重宝がられ、荷物運びやガイドとして雇われるようになる。有名な登山家のヒマラヤ登頂の陰には、彼らの命がけのサポートがある。

 

 シェルパに導かれてエベレスト街道を歩く機会はなかなかやってこなかった。私に定職もあったし、何より体力、登山技術に問題があった。しかし、今春、日本山岳会東九州支部の星子貞夫氏から「ヒマラヤ・ゴーキョピークに行かんか」と声がかかると、すでに勤めも辞め、三千メートル級の山の経験も積んだ今しかないと思い切った。出発前にはメールで娘に遺言もした。

 星子貞夫氏を隊長とする登山隊十名はカトマンズ空港からヘリで登山基地であるルクラに入る。ここで四人のシェルパと荷物輸送用の三頭のゾッキョと合流する。

 ドートコシの激流を遡り、シェルパ族の村々を辿り、登り始めて八日目にゴーキョに到着。そして十月十七日全員でゴーキョピーク五四〇〇メートルに登頂した。十名の平均年齢七十二歳である。

 エベレスト、ローツェ、チョウユウなど八〇〇○メートル級の山々を望みながら、空気が次第に薄くなる中でのトレッキングは息苦しく、登山靴の長さ程しか前に進むことができない厳しいものだった。

 シェルパは、先頭と最後尾について、最高齢の星子氏の様子を見ながら隊をゆっくり進めた。高度順応や三度の食事の対応など良く助けてくれた。いつも、「疲れたもうだめだ」と思うタイミングで熱い紅茶が用意されていた。そして、私達全員の登頂をとても喜んでくれた。

 今回、私達についたガイドのサーダ(リーダー)は三十代後半、エベレスト登頂経験十七回の優秀なガイドであり、ナムチェバザールのシェルパ博物館にも写真入りで紹介されていた。他のシェルパ三人は若く、そのうちの一人はブランド物の登山ウエアをおしゃれに身に付け、暇があるとスマホでゲームを楽しんでいた。けれども皆、標高四、五千メートルの高地を荷物を担いでカモシカのように駈けて行く身体の持ち主である。

 シェルパには登山中の事故やトラブルも多く、二年前の大規模な雪崩事故では遭難補償をめぐっての紛争も起きている。登山家の野口健氏が、登山中に死亡したシェルパの遺児の教育資金をと呼びかけており、行く先々のロッジの壁にチラシが貼ってあった。

 車は入れず足で移動するしかない高山地帯でも、IT(情報通信技術)のおかげで、インターネットなどの情報は垣根なく手に入る時代である。シェルパの暮らしも変化して当然である。

登山客のいない時期はアメリカに出稼ぎに行くシェルパもいるそうだ。そして帰って来ない事も多いとか。

 クムジュンでロッジを経営するシェルパは、雨期は日本の蓼科山の小屋で働いているとかで、日本語も日本料理も上手であった。息子はカトマンズの大学に行かせたいという。

 私は想像する。世界各地に移住したシェルパ達が、時折仲間で集まって、シェルパ踊りを踊ったりシェルパ語で話したりしてヒマラヤを懐かしむ。その時はもう高地に順応できない普通の体になっているだろう。これも仕方のないことである。

 

 シェルパ族の村には子供がたくさんいて、目が合うと「ナマステ」と挨拶してくれる。しかし顔も手も服も全身黒光りしている。私は「まあ、この子達は、生まれて一度もお風呂に入れてもらっていないのだわ」と同情していたが、トレッキングの終わりには、私もほとんど同じ状態になった。

 十五日間も風呂に入れなかった。水は山から豊富に流れてくるが雪解け水で冷たい。ストーブやかまどの火は乾燥したヤクの糞。小さいテルモスにお湯をもらうのが精一杯であった。

 髪や肌がさぞ痛んでいるだろうと心配したが、カトマンズのホテルに着いて洗ってみると意外と柔らかくしっとりしていた。そういえば、私達は身体を洗い過ぎとなじみの美容師も言っていた。

 毎日入浴とシャンプーをして原子力発電反対でもなかろう。私だけでも洗髪は三日に一回、入浴回数を減らしせっけんをあまり使わないようにしよう。それをシェルパへの友情の証しとしよう。