九六位山日記(ゆきのさきこ)

私のマンションのベランダから見える山は、九六位(くろくい)山です。雨はいつもこの山を越えてきます。

マリちゃんへ

 

 年賀状の時期になると、短大の寮で、いつも石川啄木の「初恋」を大声で歌っていた真理ちゃんを思い出す。彼女は演劇部に所属し、アルトで太い声を持っていた。その声を生かしてか、背が低かったからか、芝居では少年の役が多く、得意そうに良くこなしていた。

 福岡のサラリーマン家庭で育ったマリちゃんの、大事に育てられた女の子特有の天真爛漫さは、農村育ちの私にはまぶしく、私たちは、演劇のこと、文学のこと、おしゃれのことなど尽きることもなく語り合った。学生バンドの追っかけもやり、ダンスパーティーで同じ人を好きになったりもした。

 卒業するとマリちゃんは、愛知県に行き、幼馴染の男性と結婚。私も、衝撃的な出会いに思えた人と結婚し、数年後には後悔することとなった。しばらくして、風の便りに、真理ちゃんが子供二人連れて離婚した。原因は夫の不倫とDVと知らされた。あの真理ちゃんを叩くなんてと一瞬身が縮む思いがしたが、人生は手強い、いろいろなことが起きるのだと胸に沈めた。

 以前、北海道の小樽に出張したとき、駅前で石川啄木の歌碑をみた。「子を負いて 雪の吹き入る停車場に われ見送りし妻の眉かな」。この歌は、私がそれまで知っていた「東海の小島の磯に・・・・」や「柔らかに柳青める北上の・・・・」などの感傷など一気に吹き飛ばす歌だった。

 雪の降る冷たい停車場で、職も定まらず、親戚や友人に借金を続ける夫を見送る。いつも女性の影がある。背中に子供の重み、眉に不安が滲み出ていたに違いない。天才は残酷なほどに妻の疲労、不安を歌っている。啄木の数ある歌の中から、これを選んで歌碑にしたのはどんな理由からだろう。読む人によっては妻へのいたわりの歌と思えたのかもしれない。

 啄木は小樽から釧路へ、そして東京へ。貧しいまま26歳で亡くなった。妻も29歳で、二人いた娘も若くして亡くなっている。今、啄木の才能を継ぐ人はいない。

 この雪の停車場の歌について、私は最近少し考えが変わった。もしかしたら妻は、啄木の才能を信じて、今度こそはと祈っていたのかもしれない。妻も文学少女で、啄木とは文学仲間であったのだから。背中の子供は温かく二人を確かにつなぐものであったに違いないと。 

 マリちゃんとは時折、途切れながらも年賀状のやり取りをした。その後、年下の青年と結婚し、子供とも仲良く暮らし、相変わらず演劇もやっているようだ。

 マリちゃん、私たちの人生も、啄木のセンチメンタルなどはるかに超えた大ドラマだね。

 私たち、今度会ったら何度も何度もこの歌を歌おう。

「砂山の 砂に腹這いて 初恋の痛みを 遠く思い出る日」