九六位山日記(ゆきのさきこ)

私のマンションのベランダから見える山は、九六位(くろくい)山です。雨はいつもこの山を越えてきます。

 ふたつの小さな花びん

 我が家に、手のひらに乗るサイズの陶器の花びんが二つある。一つは玄関でペン差しに、もうひとつは毎朝飲む薬を入れてある。

 この花びんは、50年前、私が勤めていた銀行が、信楽、九谷、清水などで焼いたミニチュアの花瓶セットを、何かの記念に預金者や職員に配ったものである。確か5個あったはず。

 銀行勤めは四年だった。結婚退職が当たり前の時代に、私が出産して勤めた最初の女性であったためか、それなりに職場の風当たりは強く、特に思い出のある花びんでもなかった。

 結婚する時、両親から和ダンス、洋ダンス、三面鏡といわゆる嫁入り道具なるものを持たされ、大分市内のアパートの1階で所帯を持った。部屋の前に小さな花壇があり、まだ赤ん坊だった娘に見せようと、チューリップを植えたりした。

 チューリップを見ないまま、連れ合いの転勤で、佐伯の番匠川の近くに引っ越した。特にすることもなく、毎日、乳母車を押して土手に上がり、水量たっぷりの河口に向かって歩いた。

 台風が来るたびに番匠川が氾濫するらしく、近所の人が荷物を2階に上げるのを加勢してくれた。佐伯での2年の間に、男の子が生まれた。

 その後、大分市の明野団地へ。そこで二十年、公営団地の最上階から、太陽が豊後水道に昇り、くじゅう連山に沈む様子を眺めて暮らす。

 同じところに長く住むと、荷物が増える。狭いところに、子供の机やダイニングテーブル、ソファが並ぶようになり、かさばる嫁入り道具は実家に送ったり、人にあげたりして、消えていった。

 ある時、急に思いついて自分の机を買った。受験勉強中の娘の机と並べて、グズグズと詩を書いたり、中小企業診断士の資格試験の勉強もした。

 子供達が就職するのを機会に、公営住宅では婚約者も連れて来にくいだろうと、今のマンションを買った。

 嫁入り道具のうち、最後まで残っていたのが、ベルサイユ宮殿風の三面鏡である。「鏡台の横に貼ってあるヘプバーンのポスター外して私は私」と恥ずかしい短歌が残っている。三面鏡に映る私の姿をもう楽しめなくなった頃には、脚もぐらつくようになり、真ん中の大きい鏡一枚を残して解体し、不燃物に出した。

 子供達はそれぞれ所帯を持ち、今、私は1人暮らし。ここ数年の断捨離ブームに乗って、家の中のものを捨てに捨て、部屋はさっぱりした。

 物を買ったり捨てたりの暮らしの中で、軽い決断や重い決断もあったと思うが、今となっては、どれが良かったのか悪かったのか、もうどちらでも良いことである。

 それにしても、50年も前にやって来たこの小さな花びんが二つ、こうして残っているのは不思議なことだ。「お前たちどこに隠れて、ここまでついて来たのかい」 

 娘には「私が死んで部屋を片付ける時に、捨てるのが惜しいと思うようなものだけにしておくから」と言ってある。花びんもそのうち消えるだろう。

 

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