九六位山日記(ゆきのさきこ)

私のマンションのベランダから見える山は、九六位(くろくい)山です。雨はいつもこの山を越えてきます。

キリマンジャロの登山ポーター

キリマンジャロの登山ポーター

                        

 今から6年前、山仲間6人で結成したキリマンジャロ登山隊は、ケニアからジープでタンザニアに入国。ベースホテルで登山の準備。現地で雇ったガイドとポーターは全部で12人。彼等は6日間、テント、水、食料等を担いで私達6人に寄り添うようにして歩いた。               

 登頂4日目に山頂直下4650メートルの最終キャンプ場に到着。私は血中酸素濃度が低く高山病が疑われたため、登頂を断念する事とした。隊が出発した後、私は若いポーター1人を連れて頂上をトラバースする。ポーターは料理担当かリュックサックに鍋や洗い桶をぶら下げていた。言葉を交わす事もなく黙って付いて行く。彼は急な崖や岩にさしかかると、振り向いて真っ黒い手をさし出してくれる。歩いている間いつも左肩にマウエンジ峰5149mが聳えていた。休憩した時、私のデジタルカメラで写真を撮ってくれた。(彼はカメラが撮れるんだ。そういえばスマホをいじっているポーターもいた。)その時の写真は今、私のfacebookの表紙を飾っている。3時間近く歩き、キャンプに着く頃には、私達はもう恋に落ちても不思議はなかった。

 キャンプで登頂メンバーと合流し、2日間かけて下山し、ベースキャンプでガイド達とお別れをした。私は彼を探したが見つけられなかった。黒い顔や服装がみな似ているのだ。名前さえ聞いていなかったのだ。私はジープの中からポーターの黒い群れに必死で手を振った。彼はこれからも埃まみれで、炊事道具を担ぎ、夜は零下になるキリマンジャロに登り続けるのだろうか。

 帰国してからすぐ、アフリカで起きた青年達による民主化運動のニュースを聞いた。アラブ諸国を中心とする「自由」「尊厳」「人権」を要求する運動である。後にフェイスブック革命、ジャスミン革命とも呼ばれる。インターネットは革命の起爆剤になるほど砂漠の地アフリカにも普及していたのだ。NHK取材班の「アフリカ」(新潮新書)によると、砂漠に通信基地を敷設して行ったのは中国企業とのこと。中国は他国の民主化に貢献しているのだ。

 私も帰国してすぐフェイスブックを始め、友達は仕事、趣味の関係者を中心に300人を超えた。自分が望めば手のひらのスマホで世界の人とつながることができる。

 その後の民主化運動はどうなったのか。「アラブの春は終わらない」(タハール・ベン・ジェルーン著)に詳しく報告されている。