(不機嫌の原因)
金曜日の夕方、駅前のバス停に立っている私の機嫌はとても悪かった。たった今、産院で、産まれたばかりの女の子の孫に会ってきたばかりなのに。
この不機嫌、不安の元はどこから来るのか。周りを見回すと、女子高校生が数人、下を向いてスマホをいじっている。(高い通信料はお家の方が払っているのね)。
勤め帰りの娘さんも不機嫌そうにスマホをいじっている。「ユニクロ」か「しまむら」か、どこにでもある安物の服を着ている。(ハナ金なのにもっとおしゃれをしたらどう)。
さらにベンチには、買い物袋抱えたおばさんが背中を丸めて座っている。目をつむり口をへの字に曲げ、全身不機嫌のかたまり。(お家に帰ったら、笑顔になるのかしら)。
見慣れた光景ではあるが、今日はひどく気になる。彼女たちが幸せそうに見えないのだ。孫もこんなになってしまうのか。孫の幸せのイメージがまったく見えない。
「こんな時代に生まれてしまってどうなるの」と思う。年間3万人の自殺者、その70%は男性とか。男性が死にたがる国での少子化対策など心もとない。個人GDPは、少し上がったとはいえ、非正規雇用や年金受給者の増加で、未だ世界第22位。福島原発事故収束に向けての国民的コンセンサスもまだ得ていない。さらに隣国と過去に一度も仲良くしたことがない。バス停でみた女性たちの不機嫌の原因も多分そこにある。
バスで滝尾橋を渡っている時、不意に40年前、娘を出産した時に書いた詩を思い出した。
−8月1日のよく晴れた朝に娘は生まれた。病院の窓から夏の空を眺めて、私は、この子のためなら何でもするだろうと思った。−
そう、私の不機嫌の原因は、長く生きてきて、たくさんの不幸を見聞きして、心配ばかりしている私自身にあったのだ。