九六位山日記(ゆきのさきこ)

私のマンションのベランダから見える山は、九六位(くろくい)山です。雨はいつもこの山を越えてきます。

木になりたい

 

 

火焔山(シルクロードにて)

                   木になりたい


 私は若い頃「大陸の奥深く、丘の上に立ち、一本の木になりたい」と、詩に書いたことがある。

田舎の街で、私なりに出口を探していたのだろうか。その思いは、いつも心の底にあって、機会を捉えては、中国大陸に出かけるようになった。退職してからは、仕事仲間と中国経済視察団と称して、毎年のように、中国奥地へ旅行した。

2017年には、新疆ウイグル自治区ウルムチトルファンまで行き、バスで念願のシルクロード・天山南路を走った。陽炎の立つハイウエー、この先に、オアシス都市タシケントサマルカンドがある。必ず行こうと熱くなった。

そのうち、コロナ騒動で海外旅行はお預けとなり、それならと、シルクロード中央アジアに関する小説や資料を集め勉強をした。

中央アジアは、天山山脈パミール高原タクラマカン砂漠などに囲まれた草原と砂漠の土地。周辺の大国、アラブ、モンゴル、ロシアなどから絶えず侵略され、その度に都市は廃墟となり消える。国境や統治者が次々に変わる。どこからかやってきて住み着いた多民族、多言語の人々。彼らの遺伝子には、侵略者の蹄の音や戦車の音が残っているだろう。

 昔から、綿花、葡萄、羊毛が主な産業である。ソ連崩壊後に独立国家となった現在も、人々は低収入で貧しいようだ。国が強くならなければ、大国や外国資本の手が伸びる。

 

 日本は島国で、地続きにある隣国を持たないので、侵略される怖さを実感として持ちにくい。

中国人の知人に、日本が侵略したことをどう思うかと聞いてみたら、「中国は広く、どこにでも逃げられる。敵はそのうちに追いかけて来なくなる。そんな歴史ですよ」と笑いながら答えた。

 以前、仕事で、海外からの技術研修生の受け入れに関わったことがある。国の指導もあり、労働環境はそれなりに配慮されていたと思うが、時々、逃げ出す研修生がいた。彼らに教えておくべきだった。ここは島国で、二時間も電車に乗れば海に出る。そこで行き止まりだと。 

 

 秋の午後、私は、近くの公園にある低い山に登り、堀江敏幸の薄い夢のような短編集を読んでいた。今年の秋は、木枯らしが吹くのが遅いせいか、森はまだ紅葉が残っている。柔らかい風が葉を散らす。この時、私は一本の木になっていた。