九六位山日記(ゆきのさきこ)

私のマンションのベランダから見える山は、九六位(くろくい)山です。雨はいつもこの山を越えてきます。

読書会の後で

 

 読書会の後で、雑談をしていたら「男は優しい女性が好きですから」と、声がした。声の主は60代後半の男性である。その言葉に私は、突然、怒りが湧いた。

「男に好かれる女性」は女性にとって「呪いの言葉」である。呪いの言葉とは、相手を支配しようとする言葉。受けた人は、その言葉に縛られてしまう。

 私が若かった頃、昭和40年代、多くの女性は、まだ男性に頼らなければ生きて行けなかった。二十歳を越えたら、良い結婚相手に巡り会うことが一番であり、お茶やお花、料理を習い、容姿を磨くことが独身生活の中心だった。田舎の町で経済的に自立することの選択肢は限られていた。自分磨きとか、自己実現などと云う言葉には、出合わなかった。

 では、男性はどうだったのか。その日の読書会の課題図書は、中島敦著「山月記、李陵」。中国の紀元前の時代の男性が主人公の5つの短編。詩人を目指すが、才能に乏しく、途中で虎になった男。武勇を次々に挙げても行ったが、結局、辺境の地で忘れ去られた男。どれも皆、志半ばで虚しく終えた男達の物語である。大昔から、男性の呪いの言葉は「ひとかどの者になる」である。

 しかし、その読書会の場で発言するほど考えがまとまっていなかったので、黙っていた。ひと月もやもやが続いた。

 次の読書会で、よせばいいのに、前回言い残したのでと「呪いの言葉」について発言した。この日の課題図書は、村上春樹の「ダンス、ダンス、ダンス」。村上春樹は、既存のシステムにがんじがらめの私たちが、解放され、癒されていく方法を、追求しているように思う。だから、村上春樹を読むと勇気が湧くのだ、と上手く繋いだ。

 しかし、読書会の後で、私はまた後悔した。

 読書会には、数人の若い人たちが参加していたが、私の発言に誰も反応しなかったのだ。

 考えてみれば「男女雇用均等法」「男女共同参画社会」「育児休業制度」とジェンダーフリーを国レベルで取り組んできた時代に生まれ、社会に出た人達だ。「男性に依存するなんて考えはありません」と強く言いそうだ。

 五十年も経てば、世の中は変わる。若い世代の苦しみもまたあるはず。だから気むづかしい読書会に参加するのだろう。年長の私は、聞くべきだった。「あなた達の呪いの言葉は何ですか」と。呪いの言葉は、表に出してしまうことで、威力が弱まるのだから。

 私が「男性から好かれる事」を気にしなくなったのは、いつ頃だっただろう。仕事が面白くなり、資格も取り、怖いものが少しずつ消えて行った頃だったかもしれない。