九六位山日記(ゆきのさきこ)

私のマンションのベランダから見える山は、九六位(くろくい)山です。雨はいつもこの山を越えてきます。

冬の贈り物

                              冬の贈り物             (2018.3)       

 セーターはカシミヤに限る。冬になると引き出しから何枚か出しておく。首に柔らかく、暖かいし、軽くて肩も凝らない。

 二十代の頃、いつも良いものを着ている友人がいた。彼女がいるだけでまわりまでおしゃれに見えた。彼女は、子供の頃、父親に定職がなく、みすぼらしい格好で育ったので、自分が働くようになったら、何よりもまず身ぎれいにしたかったと話していた。

 昭和二十年代から三十年代に育った私たちは、誰も着るものに憧れやトラウマがあるはず。私も「田舎で、こんなの買ってどうするの」みたいなブランド物を買いあさってきた。結局、断捨離をしてほとんど捨てることになったが、ゴミ袋の山を前に、自分のしでかした事に吐き気がした。このところ、お気に入りの数着で落ち着いている。

 ランドセル姿の古い写真が一枚ある。ランドセルを背にジャンバースカートと丸首のセーター。首の恥痒さをまだ覚えている。農家の若い嫁が、小学校に上がる娘に、セーターを編んでもらうお金をどう工面したのだろうか。父や祖父をどう説得したのだろうか。若い母の思いが切ない。

 

 冬はやっぱり燗酒である。相生町の居酒屋に燗酒をつけるのが上手なおかみさんがいた。今はどこでも電子レンジでやっているが、この店は大鍋に沸かしたお湯で燗をしていた。アルコールが適当に飛んで香りも味も柔らかく、温もりも長い。いつも佐藤酒造の「千羽鶴」を二合、鰤のあらなどを肴に、預けている「マイ盃」でゆっくり飲んだ。その時々の酒好きの友人と十年は通ったと思う。客同士も仲良くなっていた。

 しばらく遠のいていたら店を閉めていた。人づてに聞くと、最近は客が少なく、マスターも体を悪くし、立っているのがやっとの状態であったとか。通っていた頃、大きい宴会が減って個人客ばかりでは、経営も厳しいのでは思ったが、深く立ち入らなかった。店の跡を通るたびに、どうしているのかと気になっていた。

 ある日、大分駅を出たところで大声で呼び止められた。おかみさんである。勤めの帰りとのこと。そして「盃は預かっているからね」と。おかみさんのつけた千羽鶴の香りが鼻の先にふわっときた。

 

 私のマンションは6階にある。南向きの部屋が三部屋あり、臼杵、豊後大野の山々を望む。日当たりがよく読書や刺繍をしながら、夕暮れに鳥が窓を横切るまで座っているのが、冬の楽しみ。

 このマンションは、娘が大学院を卒業した春に難病が見つかり、家での治療が長く続くと思い、ローンを組んで買ったもの。幸いに娘と息子も、十年ほどここに住んだのち結婚して出て行った。今も、二人の連れ合いに、「うちの子供達をよく見つけてくれた」と感謝している。

 もう部屋の中に子供のものはほとんどない。お一人様で生きていく覚悟もとおに固まっている。日向ぼっこなら六畳一間で良い。